如何にすれば今日の柔道を国民の柔道となし得るか(73歳)

※以下、嘉納が73歳のとき(昭和7年)の論文「如何にすれば今日の柔道を国民の柔道となし得るか」(抜粋)

今日の柔道が創始せられたのは今から五十年前のことで、その頃は往時の柔術ややわらさえ殆ど全く世人から忘れられていて、広い東京にそれを教授する人を見出すに苦しんだ程であったということを考えて、当時を追想して今日を見ると、隔世の感があるといわなければならなぬ。

しかし、わが同士の理想とするところから見れば前途はまだ遼遠である。昭和六年も過ぎ今新たに七年を迎えるに当たり柔道の修行者に対し今一段の奮励を望みたいと思う。

そこで自分が第一に修行者に望むところは、柔道修行の目的を明らかにすることである。

往時の柔術は技術を学ぶと同時に武士の精神を養うこともその目的としただろう。しかし、柔術そのものは技術であった。したがって修行者は自ら技術の練習に励んで精神の修養は閑却した嫌いはないでもなかった。

今日の柔道は、道を体得することを修行の目的として、技術はその手段として練習することになっている。技術そのものの修行も価値があるのであるから、修行がそれにとどまっても差し支えのないことはもちろんであるが、道を体得し、かつこれを人生百般のことに応用することの出来る修養をすることに比すれば、そこに雲泥の差がある。

柔道を道として学んでもこれを体得する手段として用うる術は自然に覚えられるが、これを術としてのみ練習する時は何時までも道に達し得られぬのである。それが往時は柔術とかやわらというたのを私が柔道と改めた所以である。それ故に柔道は道を体得すること事が本当の目的であって、技術の練習は手段であるということを忘れてはならぬ。

毎々私がいうことであるが、この道に達するには方法はいくらでもある。あたかも富士山に登るには御殿場ばかりが登り口でない、須走からも吉田口からも登れる。しかし、目的とするところのものはきまっていると同様に、柔道の修行が目的として捉えんとするところのものはきまっている。

すなわち、何事をするにもその事を最も完全に仕遂げようと思えば、その目的を果たすために心身の力を最も有効に働かすにあるという一貫した大道を捉えることである。この大道を私は柔道と命名したのである。

この大道は学問をしてその理屈からも体得することが出来れば、実務上の実験を積んでそれからも体得する事が出来る。しかし、私自身は昔の柔術の技術上の練習からこの大道を体得したのであるから、同様の順序方法をもって人にもこれを教えようとして作り出したのが今日の講道館柔道である。

この方法を用うれば身体が強健になり武術が覚えられ、同時に精神の修養が出来るという三得が一挙に得られるのである。それ故に柔道修行の目的は、その大道を体得し、その大道に基づいて人事万般のことを遂行し得るようになることである。

そして、普通の手段としては、体育と武術を兼ねた練習によってこれを行うのであるから、人として世に処する道も明らかに分かり、精神の修養もでき、身体も良くなり、武術も覚えられるということになるのである。そういう次第であるから今日柔道を学ぶものはここに着眼して修行をしなければならぬ。

柔道の修行が単に技術の末に流れて修養方面のことを閑却するに至れば、世人は柔道を重んじなくなってしまう。柔道の教員も技術ばかりを教えて人間を造ることに留意しなければ生徒からも父兄からも軽んぜられるようになってもやむを得ない。

今日は競技運動でも精神教育の方面を重んずることになっている。競技運動の本来の目的は競技であるにもかかわらず、精神教育は相当に重んじている。柔道の本来の目的は、技術ではなく立派な人間を造るにあるのだから、教えるものも学ぶものもそういう方面のことに大いに留意しなければならぬ。

しかし、多くの教師には、どういう方法で教えればその目的が達せられるか準備が不十分かも知れぬ。そこで、この度私は柔道教本という本を書いて三省堂から発行せしめたのである。柔道の教育はその人々の年齢により素養如何により異ならなければならぬ。しかし、各種の人に適するものを同時に作ることは出来難いから、まず中等学校用に適するものを作ったのである。それを本として教師がおのおの工夫を加えれば、各階級の修行者に適用する事が出来ようと思う。今日はまだ第一巻だけしか公にしていないが遠からず第二巻も出すつもりである。教えるためばかりでなく教員自身の修養のためにも精読して貰いたい。

かくして、柔道が技術ばかりでなく、一般的に人間として必要な修養の方法と認められるようになれば、今日のようにある年齢であっても特にそういうことに趣味をもっているものばかりではなく、今いっそう一般的に行われるようになるに相違ない。遂には、特殊の人の柔道でなく、国民の柔道となることが出来よう。(嘉納・著作集第2巻275~279頁)

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