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大学講義

筑波大学「筑波大学と嘉納治五郎~逆らわずして勝つ~」

東京高等師範学校の校長を23年半も務めた嘉納治五郎は、柔道の創設・普及はもちろん、教育改革や留学生教育、そして日本のスポーツの推進などに尽力した。また、アジア人初のIOC委員として、世界を駆け回り、オリンピック・ムーブメントの推進にも貢献した。嘉納治五郎の幅広い行動と理念について学ぶとともに、筑波大学に流れる嘉納のレガシー(遺産)を見いだす。

講義一覧
1.留学生教育
2. 関東大震災からの復興
3. 教育改革の足跡
5.クーベルタンと嘉納
6.オリンピック・ムーブメントの推進
7.柔術から柔道へ
8.女子柔道と教育
9.嘉納治五郎の弟子たち
10.まとめ:嘉納治五郎のレガシー

1. 留学生教育
嘉納は中国から8000人もの留学生を受け入れた。その中には後の魯迅や中国の教育大臣も含まれていた。留学生にどのように接し、何を伝えようとしたのだろうか。

2. 関東大震災からの復興
1923年に起きた関東大震災。その直後からスポーツやオリンピックを通して社会の復興を目指す。スポーツ公園の設置も提案した。その成果は?

3. 教育改革の足跡
(東京)高師校長に就任するや、嘉納は師範教育や中等 教育の改革を試みた。その精神は今日の教育改革にも通じる。

5.クーベルタンと嘉納
クーベルタンが求めた新たなIOC委員は、教育改革に熱心な人物であり、嘉納はまさに適切な人物であった。両者の交を流を探る。

6.オリンピック・ムーブメントの推進
1940年のオリンピック競技会の日本(東京)開催に尽力 した嘉納。招致のための行動と理念とは?

7.柔術から柔道へ
嘉納は伝統的な柔術から講道館柔道を作り上げた。そのねらいはどこにあったのだろうか。

8.女子柔道と教育
1890年代から女子に柔道も許可するなど欧米の教育と比較しても先駆的であった。女子柔道に託す嘉納の思いとは何か。

9.嘉納治五郎の弟子たち
嘉納治五郎には各界に活躍した多くの弟子たちがいた。弟子たちの活躍から嘉納の業績を概観する。

10.まとめ:嘉納治五郎のレガシー
嘉納先生が顕した考えや行動について、どのように自身の今後の学生生活に引き継ぐか刻印する。

テレビ番組

世界ふしぎ発見!「嘉納治五郎」~1993~

知ってるつもり「真説!花の講道館」~1985~

バテレあびこナビ 2月「嘉納治五郎師範と我孫子」
柔道の父として知られる講道館の嘉納治五郎師範と我孫子市のつながりについて紹介しました。

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