嘉納治五郎の柔道と教育37 これからの日本からみた柔道(2)

国の繁栄には、軍事力、経済力も重要であるが、「本当のカギはどれだけ味方を増やせたか」(ソフトパワー)にある。

今回は、嘉納以後、柔道こそが世界に貢献できる日本の文化であり、だからこそ日本のソフトパワーであるという認識をもって活動した代表的な人物、松前重義氏(東海大学創設者、国際柔道連盟会長、国会議員など)にふれながら、これからの日本をみていきたい。

ソフトパワーとしての柔道の認識

松前氏は1979年から1987年まで(2期8年)国際柔道連盟の会長を務めたが、そもそもなぜ立候補したのだろうか。

その理由の一つは「柔道」が日本のソフトパワーであることをよく認識していたからである。

以下、柔道家山下泰裕氏が運営する柔道教育ソリダリティのHPに掲載された、松前重義録「国際柔道連盟会長立候補にあたって」松前重義録「国際柔道連盟会長立候補にあたって」 | 柔道教育ソリダリティーから引用する。

・・私がこのポストに立候補したのは、日本が生んだ世界競技の会長を、日本に取り戻すというような、偏狭なナショナリズムから生まれた発想からではない。日本で生まれたスポーツが国際化し、その連盟の長に外国人が就任することは、その競技が世界に認められたなによりの証明であり、ある意味では喜ぶべき事態ともいえるからである。

にもかかわらず、私があえてこのポストに立候補したのは柔道という、国際化したスポーツをさらに世界に広めてゆくためには、なんといっても、このスポーツの祖国である日本が、総力をあげて取り組んでゆくことが不可欠であると考えるのと、そのことが日本を世界に理解させ、国際社会の中での日本の地位を、戦力の拡充や経済力の強化といった、いま、わが国が世界各国から批判されている方向ではなく、平和、かつ友好的な方法で向上させてゆくうえで絶対に必要なことではないかと考えたからである。

私は、この 10 年間、東海大学の総長として、また世界各国との学術文化交流を業務とする日本対外文化協会の会長として、東・西を問わず、多くの国々を歴訪してきた。そして、そのなかで二つの事実をつぶさに感じとってきた。

一つは、海外における日本への理解が実に不足しているというか、誤解も少なからずあり、結果として、日本の評価が極めて低いものであるということ。もう一つはこのような状態の中でも、柔道や空手という日本が創造したスポーツだけは、驚くべき普及をとげ、多くの国の人々に愛されているという事実である。

(中略)

ともかくも、文化交流や留学生交流を積極的に推し進め、日本の伝統や文化の現状についての相互理解をはからない限り、経済強国日本に対する国際的な批判は今後強まりこそすれ、改善されることはないだろう。その意味でわが国は追い込まれた状況にあり、いまこそ積極的な手を打つ必要にせまられているのである。

では、どのようにして日本の文化を海外に紹介するか。そして、文化を通じて日本への理解と尊敬を深めてゆくか。

私は、この核になるものこそ、柔道であると考えている。

むろん、かつて成功したように日本の伝統工芸や、美術の海外展を行うこともよいだろう。すでに指摘したように、留学生や研究者の交流をはかることも大切である。しかし、このような仕事は時間のかかる問題であり、美術展を恒常的に実施することは不可能であろう。しかし、このような狭い範囲から一歩視野を広げると、まさに柔道という、日本が生みだした広い意味での文化の産物がこれまで日本政府の手を借りなかったにもかかわらず、現に世界各国に普及し、人々をとらえ、愛され、柔道人口はいまも日々増加の一途をたどっているのである。

欧米の都市に柔道道場のない街はない。小さな市のスポーツ・クラブをのぞいてみれば、そこには必ず柔道と空手クラブがあり、熱心な日本人コーチか、そのコーチによって指導された外国人が、大勢の人の指導に励んでいる。そして、日本人が考案したスポーツを、柔道衣を着用し、日本語で楽しんでいる。そして、それらの人々は、単に身体を動かすだけではなく、日本に親近感をいだき、柔道を通じて日本の精神を理解し、ひいては日本との友情を培っているのである。世界の人々が柔道を愛し、親しむのは、柔道こそ、日本のオリジナリティーをもったスポーツであり、そこに、なににも代えられない価値を発見したからである。

私が国際柔道連盟の会長に立候補したのは、この世界の人々に愛され親しまれた柔道のより一層の普及を通じて、日本の文化を世界に理解させ、日本のイメージを変え、新しい日本像をつくりだすためでもある。私は突然この立候補を決意をしたのではない。私は私なりにこの十五年間にわたって考え、そして行動してきた、文化の国際交流の仕事一環として、そしておそらく最後の仕事として、この立候補を決意したのである。

(中略)

私は昨年、喜寿を祝ってもらった。そして私は残された生涯を、十五才の時から六十年以上、熱愛してきた柔道と、その道を通じて日本将来に明るい展望を切り開く仕事にささげることを決意した。そして、この仕事はスポーツによる世界の交流の発展という面から世界の平和にも寄与できるだろう。

柔道は、最も平和的かつ礼節を重んずるスポーツであり、それは日本の精神の結晶であるといってよい。私は、この精神を世界に広めてゆきたい。

http://www.sinchakuchan.com/client/data/uploads/11/20100708083238_689376.pdf

わたしたちの国、日本はどのようにして「味方」を増やしていくのか。

松前氏の解答は、「核になるものこそ、柔道であ」り、「世界の平和に寄与」する「日本の精神の結晶」である「柔道のより一層の普及を通じて、日本の文化を世界に理解させ、日本のイメージを変え、新しい日本像をつくりだす」ことによって、である。

日本国内での認識

もっとも、日本の大多数の人々には、柔道が日本のソフトパワーであるという認識があまりないようである。

例えば、ヨーロッパで日本学を教える、ベルギー・ゲント大学教授のニーハウス・アンドレア氏は、武道が日本の「ソフトパワー」となりうることが見過ごされていると指摘する。

ヨーロッパの武道は地域のスポーツの伝統に順応し、日本の伝統から分化している。しかし、海外の武道学校のほとんどは、用具や技術用語のために日本語を保持し、和服を身につけ、挨拶などの日本の習慣に従っている。それに加えて、日本で稽古することは武道を習得する上で重要な要素と今なおみなされている。まるで武道の母国にやって来るかのようである。

武道は身体的、知的レベルでの国際交流の機会を提供し、社会についてのステレオタイプな考えを取り除くのに役立つかもしれない。この意味で、武道は重要な「ソフトパワー」とみなされうる。

ヨーロッパにおける日本学の教員として私は、学生が日本語や日本文化を学び始めるのには主に二つの理由があることに気付いた。それは、漫画と武道である。

日本政府は漫画やアニメと、日本の国際的なイメージとの関連性を認識し、2008年(平成20年)3月に漫画のキャラクターであるドラえもんを「アニメ大使」に任命した。しかしながら私見では、伝統的でステレオタイプな考えを超えて、現代日本について(も)良き理解を促すことや、文化間の対話や理解を拡充する上で、武道も有益になりうることが見過ごされている。(生誕150周年記念出版委員会「気概と行動の教育者 嘉納治五郎」283頁)

前回も引用したが、斎藤孝氏もまた次のように指摘する。

・・とにかく治五郎は近代史における日本の位置、世界の中での日本の立場を考え、「日本人ここにあり」ということを示すために柔道に着目したのでした。その着眼点は優れていたといえるでしょう。

なぜなら現在、柔道は世界中に知られていて、それが日本の伝統的な競技だというのはあまりに有名です。ほかに空手人口も世界的に見て多いですし、合気道もそうです。つまり「武」というものが、日本の文化的輸出品の中で大きなものになっているのです。

残念ながら日本人は、「武」が日本文化の中の最大の輸出品目であるという自覚をあまり持っていません。

しかし世界の人々は、日本を肯定的に評価する見方のひとつに、日本の「武」の精神を通じた人間形成の文化を挙げています。そしてそれに参加したいという外国人はたくさんいます。黒帯を締めて「武」の心を追求したいという外国人は跡を絶ちません。

たとえ日本の経済がどう崩れたとしても、「武」の精神を文化として世界に輸出した国であるという評価は残るはずです。ですから私たち自身が、「日本」という国の価値をたんに経済国家ということだけに置いてはいけないのです。

「武」は野蛮なものどころか、非常に高い文化を内包していて、人間形成の大きな軸になるものだということを世界中に広めた治五郎の功績は、計り知れないと言わなければなりません。(斎藤孝「代表的日本人」79~80頁)

これからの日本を考えるうえでまず必要なことは、柔道が日本のソフトパワーであり、さらに、嘉納や松前氏は、柔道こそ日本の中心的なソフトパワーであると認識して活動したことを理解することだろう。

ソフトパワーの源

柔道が日本のソフトパワーの核になるのであれば、その力を向上させるうえで柔道の何処にソフトパワーとしての源があるのか、つまり、何故、柔道にはソフトパワーがあるのか、という点が問題となる。

教育

大別して二つあげるが、まず第一は、なによりも「教育」としての有効性である。

この点はこれまで何度もふれてきたが、松前氏もまた柔道が教育として有効であるからこそ推進した。

松前氏は、国際柔道連盟の会長を務めたほか、国会での中・高校における武道正科採用の主張、日本武道館の設立、国際武道大学の設立など、日本の武道教育の確立に広く力を尽くしたが、その理由を次のようにいう。

・・私がもっとも危惧していることのひとつは、成長期における心身の協応的・統一的発達をうながすために欠かせないと思われる「練磨的な武道教育」が、戦後、すっかりなおざりにされている点である。

コンピュータの導入その他各種の教育機器の利用、大脳生理学や行動心理学その他各種の高度な学術的研究的適用などによって、今日の教育メソッドは戦前とは比較にならぬほど多様化し、効率化されている。したがって知能開発面に関するかぎりその成果はめざましいものがあり、たとえば情報処理能力や機器操作能力などにおいてはまさに高度工業化社会を推進するにふさわしい頭脳が輩出されつつある。

だが反面、自然界のいのちある生きものにほかならない人間の、なまなましい肉体や精神をたくましく鍛えあげ、すこやかに育てあげるような、素朴ではあるがじつはもっとも本来的な「生きた人間教育」がことさら無視されているような気がしてならないのである。

その結果、青少年のあいだに、知識や理屈には長じているが物事をあくまでもやりぬく忍耐力や責任感に欠けた者がふえ、また頭脳は優秀だが礼節や犠牲的奉仕の精神を失ったり、感激や感動の喜びを知らぬ不感症的な批判はするが責任ある行動を避ける、無気力者が少なくないことも事実であろう。

要するに頭脳や心身のアンバランス、肉体と精神のアンバランスといった偏頗な現象が、しだいに青少年本来のナイーブな心身の恒常性を狂わせ、歪ませつつあるのではないだろうか。もしそうだとすれば、本人の将来にとっても社会秩序の維持にとっても、これほど不幸な、また危険なことはあるまい。

私が戦後数年ならずして「武道教育」の再興を思い立ち、当時の武道否定ないし敬遠の風潮に抗してあえて「武道教育」振興の旗をあげ、今日にいたるまでふりつづけてきていることの最大要因は、つまるところ前記のような青少年たちの危ういアンバランス現象に気づき、それに歯止めをかけ、正常なバランス回復に軌道修正してやりたいがためであった。(

「松前重義我が人生229~230頁)

経済開発協力機構(OECD)のプロジェクト”DeSeCo”は、現在の教育の最大の問題点として、動機づけ、態度、価値観といった非認知的要素が開発されていないことを指摘するが、上記の松前氏の指摘はこれと同じだろう。

※DeSeCoはこちらを参照第30回 これからの教育からみた柔道(2) – 勇者出処 ~嘉納治五郎の柔道と教育~

そして、松前氏は、非認知的要素を開発する最も有効な方法として武道教育を挙げるのである。

※非認知的要素の開発に体育が有効であることはこちらを参照第31回 これからの教育からみた柔道(3) – 勇者出処 ~嘉納治五郎の柔道と教育~

松前氏の実体験

実際、松前氏は、柔道の稽古をしたからこそ大学受験の勉強を効果的に行うことができた、という実体験を持つ。

一日でも休むと、どうも体の調子がよくない。体が重くなり、気分までだるくなる。頭が冴えず、もやもやして勉強が進まない。学校から帰るやいなや3,4時間、思い切り投げたり投げられたりして汗を流し、さっと水を浴びると、はじめて心身ともにすっきりして勉強したい気分になる。机に向かうと勉強に精神を集中できる。猛勉強にもかかわらず体力がつづいたのも、日ごろ柔道で肉体を鍛えあげておいたためであろう。(中略)のちに私が首尾よく念願の東北帝大に入れたのは、ひとえに柔道のおかげであった。(「松前重義我が人生29頁)

(運動した後に学習したほうがよりよく学ぶことができる、という点は、最近の体育の成功例である米国イリノイ州ネーパーヴィルの体育と同じ考えである。※ネーパービルの体育はこちら第15回 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟 – 勇者出処 ~嘉納治五郎の柔道と教育~

さらに、松前氏は自身の柔道大会での経験から、柔道によって人間性の陶冶が図られることを認識した。

たとえば試合の場では稽古時とちがい、力や技のみではなく、相手の人間性を洞察したり事態を冷静に判断したりする心的能力や知的能力が重要だということである。試合に臨む前に闘う相手と自分との力関係を認識し分析すると同時に、いざ試合がはじまったあとにもたえず相手の心理や動作を洞察し、また事態の推移や変化を冷静にとらえ、彼我の力関係をみずからに有利に展開するよう臨機応変の駆け引きをおこなえるだけの精神的余裕を失わぬこと。ほぼ拮抗した力や技の持主同士の場合、いかに得意技であっても力や技だけで相手をねじ伏せようとするのは無理である。

(中略)

要するに、唯我独尊的な自己中心の柔道ではなく、あくまで相手との相対的な力関係を勘案した幅のある柔道の練磨に努めることが大切なのではないか。つまり格闘技とはいっても柔道の場合、単に力や技のみの格闘ではなく、より以上に全人的な人間と人間の闘争、人間性と人間性の勝負なのである。したがって最終的には、日常の、平常の人間性の陶冶こそが柔道の優劣の差を分ける決め手になる。ざっとそんなことを、この大会の体験をつうじて私は悟りかけた気がする。私にとっては実に大きな収穫であった。(松前重義我が人生33~34頁)

例えば、「我の力関係をみずからに有利に展開するよう臨機応変の駆け引きをおこなえるだけの精神的余裕を失わぬこと」という点などには、明らかに高度な認知的要素、非認知的要素の発達がみられるだろう。

柔道の不適切なスポーツ競技化

松前氏は、この教育的効果が高かった柔道がその力を失いつつあったことから、国際柔道連盟に立候補したのである。

・・大局的に見てもっとも懸念されたのは、柔道の本質を歪めかねない柔道のスポーツ競技化であった。たとえばスポーツ競技化にともなう体重別クラス制の細分化、あるいは、試合方法や審判・採点などにおけるルール改正などである。そうした傾向は以前から部分的に散見されつつあったが、全面的に顕在化したのはやはりパーマー体制後であり、放置すれば、遠からずして柔道は完全にレスリングと同様のスポーツ競技となり、本来の武道性、精神性がいちじるしく失われかねない形勢となりはじめた。

(中略)

柔道は周知のとおり、講道館の創設者である嘉納治五郎先生が、日本古来の柔系統の格闘武術であった天神真楊流、起倒流その他の長所を勘案されながら創意工夫し、新たに合理大系化された近代武道である。社会効用的には先生のいわゆる「精力の最善活用」や「自他共栄」を趣旨とし、また特に知育・徳育・体育三位一体の教育理念に基づく学校体育の主軸となるべく型や乱取方式に定められたいわば教育的武道であった。

(中略)

にもかかわらず柔道のスポーツ競技化が推し進められた一因は、柔道の国際的普及化を急ぐあまり、さらには柔道の急速なる国際化に迎合するあまり、普遍化のための手段を偏重して固有の本質と目的とを忘却したがゆえの錯誤にあったものと思われる。(「松前重義わが人生」15~18頁)

「普遍化のための手段を偏重して固有の本質と目的とを忘却したがゆえの錯誤」というものは、本稿第一部でふれた、短期目標と長期目標のバランスを見失った、ということと同義である。

※短期目標と長期目標のバランスについては第20回を参照(第20回 道に順って負ければ、道に背いて勝ったより価値がある。 – 勇者出処 ~嘉納治五郎の柔道と教育~

いずれにせよ、柔道は、教育として効果的であるからこそ多くの人々を引き付けるのである。嘉納はいう。

・他の修養と離れた技術は、軽業師の技術と比較し得るものであって、特に取り立てて尊重する価値が認められまいと思う。柔道の修行者が文武の両道にわたって研究練習を積んでこそはじめて国家社会に大いに貢献することも出来、世人から尊敬を受くることも出来るのである。(嘉納・著作集第2巻89頁)

・・柔道が技術ばかりでなく、一般的に人間として必要な修養の方法と認められるようになれば、・・遂には特殊の人の柔道でなく国民の柔道となることが出来よう。(嘉納・著作集2巻275頁)

第25回 特殊の人の柔道から国民の柔道へ。 – 勇者出処 ~嘉納治五郎の柔道と教育~

「パイプ」

さて、2点目がこれからの日本を考えるうえで最も重要な点である。

それは、柔道には、人々の間に国家、民族、宗教等の違いを乗り越えた「パイプ」(つながり)をつくる力があるという点である。

松前氏は、国際柔道連盟の立候補の演説において次のようにいう。

私は人道主義の立場を基礎として、国家エゴイズム、即ち国家至上主義を排し、民主主義、平和主義に基づく国家民族間の友好親善のパイプをつくり、平和への道を拓きたいと念願するものであります。そして柔道こそは世界共通の平和へのパイプでありたいと念願するものであります。(「松前重義その国際活動Ⅱ」340頁)。

日本と世界各国の間に、そして世界中の人々の間に「パイプ」をつくり平和への道を拓くこと、これこそが松前氏が最も望んだことであった。そして、世に数ある「パイプ」のうち、松前氏は柔道を選んだのである。

ドイツでの出来事

では、なぜ、松前氏は柔道に「パイプ」を見出したのか。松前氏には柔道のつながりを実体験したエピソードがある。

昭和8年(ヒトラーがナチス政権を樹立した年)、30代前半の松前氏は、日本の通信省官僚としてドイツ通信省の電信電話関係施設を訪問した。ところが、事前に許可をとっていたにもかかわらず、現地の役人から外国人の訪問は不可として拒否された。しかし、その翌日、松前氏がドイツの柔道クラブで稽古をし、その話をドイツ人の道場主にしたところ、道場主はヒトラーに連絡し(知り合いだった)、視察することができた。このとき、松前氏は「柔道の取りもつ縁の有難さ」を感じたという。

それまでただひたむきに柔道を愛し、がむしゃらに稽古に励んできただけの私は、この時はじめて、柔道というものが人間同士にあたたかい友情と信頼とをもたらし、立場や国境を超えてまで人間同士を深く結縁せしめる役割をも果たすことに気づかされた。肉体をぶつけ合い、素手で力一杯、格闘することから生まれる親身の友情と信頼感。この感慨は、その後、様々な場面で何度か実感させられることになる私にとって貴重な発見であった。(「松前重義我が人生」79~80頁)

その後のナチスドイツの非道な仕打ちを知る後世からみるとヒトラーという点で少々聞こえが悪いが、この点はさしおき、

「肉体をぶつけ合い、素手で力一杯、格闘する」と「親身の友情と信頼感」が生まれる。そして、この「パイプ」(つながり)は国家、民族、政治体制や宗教等の違いを越えて生まれる。

日本を離れ異国を訪問した松前氏は、このシンプルな事実の中に「平和への道を拓く」キーがあることを発見した。

「国際柔道連盟コーチ・審判セミナー」

さて、「柔道こそは世界共通の平和へのパイプでありたいと念願する」松前氏が行ったものが、昭和56年春に開催された「国際柔道連盟コーチ・審判セミナー」である。

国際柔道連盟の会長に就任した松前氏が取り組んだ課題の一つは、柔道の不適切な競技化を阻止し、柔道の教育的側面を強化することであったが、具体的にはどうしたらいいだろうか。

松前氏は、次のとおり、ルールの改訂等ではなく、各国の指導者に対する教育の充実という方法をとる。

すでにオリンピックの正式種目に採用され、十数年にわたって国際的に定着している体重別クラス分けや国際ルールをここで一挙に変えることは、いたずらに国際柔道界を混乱させるだけで、柔道の普及という面から見てもマイナスである。国際ルールにもそれなりに合理的なよさがある。それよりもいま国際柔道界で一番問題になっている審判員やコーチ教育を通して、人格形成に基本を置く柔道精神を広めるべきである。そのことがいきなり精神主義を前面に打ち出すより、結果的に世界中の柔道を愛する人々に、柔道の本質を広く浸透せしめ、国際的な友好親善の道を開くことにつながる。「本を忘れず、末に奔らず」という言葉があるが、これこそ松前の国際化した柔道に対する基本姿勢であった。(「松前重義 その国際活動Ⅱ」394頁)

この各国の指導者に対する教育方法として、日本の東海大学にて、昭和56年4月28日から5月7日まで、国際柔道連盟コーチ・審判セミナーが開催され、40か国から約100名の指導者が、審判技術や教授方法などについて研修をすると同時に、寝食を共にしたのである。

このセミナーに参加した、女子柔道の母、ラスティ・カノコギ氏(ラスティ・カノコギ – Wikipedia)は、次のようにいう。

松前氏の男女柔道への貢献は数え切れないほどあります。そのなかでも私の記憶にいつも大きな位置を占めている特別の例があります。それは松前氏の発案で、IFJ会長の招待による第一回国際コーチ・レフリーセミナーが、1981年(昭和56年)に東海大学で開催されたことです。

この催しには政治体制の違いを乗り越えて世界中から大勢の人が集まり、学び、交歓し、永遠の友情の絆を結ぶ場になったのでありました。この行事は松前氏の友好と平和への信念を行動によって示したものでした。また松前氏の指導による格闘技というものが、いかに平和を創造し得るかということを知りました。

1991年(平成3年)、スペインのバルセロナの世界選手権大会のことでした。東ドイツの青年が一位になって畳から退場したあと、西と東のコーチと選手が一緒に抱き合って勝利に泣いたのでした。

松前氏の精神が、彼らのあの行動を誘ったのだと思います。私は偉大な精神を持った柔道のチャンピオンを見るたびに松前氏を思い出します。松前氏のかけがえのない教えによって私達は、決断力、人格の強さ、精神の強さを持つことを学びました。松前氏は私達の心に実の多くのものを残してくれました。私は心から愛と尊敬の念を捧げずにはいられません(「松前重義 その国際活動Ⅱ」383頁)

この当時、ソ連のアフガニスタン侵攻によって東西の緊張が高まっており、各国が政治的に対立していた。

その対立する関係にあった各国の指導者たちは、柔道の審判技術や指導方法を学び、寝食を共にすることによって、「政治体制の違いを乗り越えて」「友情の絆」を結び、この「つながり」のプロセスを通じて「格闘技というものが、いかに平和を創造し得るか」ということを学んだのである。

柔道をともにすることで「パイプ」(つながり)が生まれる。この事実は多くの人々にとって当たり前のことだろう。しかし、この当たり前の事実の中に、日本のソフトパワー向上と世界の平和の糸口があったのである。

人の生活の豊かは人とのつながりにあるといっても過言ではない。国家、民族、宗教、政治体制等の違いを乗り越えて人との素晴らしいつながりをつくるからこそ、柔道は多くの人々を惹きつけるのである。

これからの日本が具体的に行うこと

以上、柔道のソフトパワーの源を「教育」「つながり」という視点からみたが、それでは、これからの日本がソフトパワーを向上させるためには、具体的にどうすればいいのだろうか。

本稿の結論は、この「つながり」をより広くより深く作り上げることである(それがよりよい「教育」につながる)。

つまり、本稿が検討している仕組み

  • 異なる地にある道場(国外・国内問わず)にいって、その地の先生の指導を受け、その地の仲間たちとともに稽古をすること、
  • そして、可能であれば道場の関係者宅にホームステイをさせていただき、一定期間その地で生活すること、

を実施することである。

少々長い引用になるが、松前氏は、これからの日本について次のようにいう。

柔道が今日の隆盛をみるについては、先ほども記したように先達のご努力が大きな力になったのは事実ではありますが、いま一つ忘れてはならないのには、柔道を通じて世界の国々と交友を結び、お互いがお互いを理解し合い、この世界を平和で豊かな社会にしたいという人間愛、人類愛に根ざしたものが根底にあったからでありまして、これこそが先達の熱意となり、世界を駆けめぐる原動力になったということであります。

このような思想を根底とする柔道であればこそ、今日の隆盛をみるようになったのでありまして、先人の残したこの偉大な遺産をどのように承継していくかということは、日本の将来にとって重要な問題だと考えざるを得ないのであります。

でありますから、柔道をやって海外へ行き、そこで大いに儲けてやろうなどという現実的な合理主義は、断じて柔道界から追放しなければなりません。そうではなく、日本の将来の歴史のために、平和な世界を建設していくために、柔道を生かさなければならないという考え方をまず根底においた柔道でなければならないのです。

少なくとも、ただ興味本位にばたばた倒したり、倒されたりする競技としてこれを見るようではいけないのであります。世界中の人々が愛好してくれる競技として、しかも日本の価値を大きく高めるものとして、さらに国と国、人と人の友情と信頼を深めるものとして、友好親善に大きな役割を担っているのが日本の柔道であると考えたいのであります。

私は国の将来を考えるとき、柔道の専門家は別としても、柔道の愛好家は今後ますます増えると思いますし、また増やさねばならないと考えます。それも世界的規模でそうしなければなりません。そうなれば、少なくとも日本を敵視したり、誤解することはなくなり、日本人の考え方なり、行動を理解しようと努めてくれるはずです。私の経験で言えば、柔道をやった人は日本に好感を持ってくださるからです。

それゆえ私は、柔道の愛好家をできるだけ増やしていくにはどうしたらいいかを考えてみました。それは今後、外国の大学生、なかでも柔道部の学生に対して、日本から積極的な働きかけを行い、日本柔道研修のため、海外の大学と日本の大学が柔道を通じて積極的に交流の場をつくってはどうかということであります。

その方法にはいろいろ考えられますが、たとえば夏休みなどを利用して、日本に来て稽古をつけてもらいたい諸君にはそれなりの受け入れ準備を整え、指導する先生、道場はもちろん、生活環境も十分に考えた態勢をつくりあげることです。

また日本には来れないが講師派遣の要請があればいつでもその要望に応え、優秀な指導者を送るというぐあいに、大学生を中心とする積極的な柔道交流の機構を日本的規模でつくりあげてはどうかと思うのです。

このようなことがもし実現できたとすれば、それは日本の将来にとって実に素晴らしいことだと思います。なぜならば、これら世界の若者たちが柔道を通じて友情の絆をつくり、お互いの人柄を理解し、国の文化と国民性を理解していくことにつながっていけば、それはやがてこれらの若人たちが社会人として大きく成長したとき、たとえば国家間の外交や、商取引上においても、どれだけ有効な働きをするかはかりしれないものがあるからです。これこそは、世界平和の根底に根ざすものではないでしょうか。日本の柔道はこのような役目を充分に果たし得る力と実績を持っていると思うのであります。

かつて国際連盟があった時代、第二次世界大戦前のことですが、現在の国連の事務総長の次長の重責を担った日本人がいました。その方は杉村陽太郎という方で、柔道八段でした。杉村さんは当時、世界の外交の檜舞台で大いに活躍され、信頼も厚かったのでありますが、この方が身をもって示した柔道を通じての実践が、どれだけ日本を紹介するのに役立ち、日本人を理解せしめるのに役立ったかしれないということであります。杉村さんの例をみるように、柔道は国際的な友情を築き、国家間の融和にも大いに貢献できるのであります。

日本の将来を考えるとき、現在の大学生をこのような方法で、しかも世界的規模で交友を盛んにしていけば、二十年、三十年という歩みの中で、きっと外交、経済の上で生かされることになると思いますし、私は何とかしてこのような交流の場を民間ベースでもいいからつくってみたい。いやつくることが日本の将来にとって是非必要なことなんだと信じたいのであります。みなさんはこのような問題をどのように考えられるでしょうか。(「松前重義 その国際活動Ⅱ」284~287頁)

これからの日本が具体的に行うべきこととは何か。

松前氏は、「世界的規模」の「交流の場」、すなわち「世界の若者たちが柔道を通じて友情の絆をつくり、お互いの人柄を理解し、国の文化と国民性を理解していく」場を創ることである、という。

大学生を中心とするか否かは別として、本稿で検討する仕組みは、この松前氏が示した方向と同じものである。これから具体的に日本が行うこととは、異なる地にある道場の人々と共に稽古をし、「つながり」をさらに広めそして深めていくことなのである。

エピソード

松前氏は、原子力爆弾がドイツに落とされなかった理由について、次のようにいう。

・・ふと思い出したのは、あるエピソードであった。それは第二次大戦中のことであるが、アメリカ軍の戦略本部は対ドイツ攻撃作戦にあたって、まずドイツに対する原子力攻撃をしない、ハイデスベルグ大学をはじめ各地の大学や病院、研究所、博物館などへの爆撃はいっさいさしひかえた。

それは戦略本部の首脳部の中に多くの旧ドイツ留学生がおり、彼らは在独中にドイツから啓発された学問上の恩義を忘れることができなかったからだ、というのである。そして文化交流の意義を高く評価しているのである。

それにくらべて”一方通行”の日本は・・・。私は、その時、国がやらないのなら私がやらなければならないと固く心に誓ったのであった。(「松前重義 我が人生」257頁)

「戦略本部」に多数の日本留学生がいたら、歴史はどのようになっていただろうか。そして、多くの留学生を引き付けるほど魅力をもったものが日本に何かあるだろうか。

日本ではそのポテンシャルがあまり話題にならないが、柔道は、世界約200か国に普及するほど魅力をもっており、「日本で稽古することは武道を習得する上で重要な要素と今なおみなされている。」(「気概と行動の教育者 嘉納治五郎」283頁)のである。

※本記事は、2010年8月から酒井重義(judo3.0)によってブログで連載された研究論考「勇者出処~嘉納治五郎の柔道と教育」の再掲です。

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